東京中央郵便局の建て替え騒動は、鳩山邦夫総務大臣が「意地悪くわめいた」という事実だけを残して決着してしまった。今後を長いスパンで見たときに、登録有形文化財にしてしまうことがどのように都市の景観に影響するのかをうかがい知るのは難しい。だいたいが、もうすぐ壊される歌舞伎座が登録有形文化財だというのに。また、この騒動の間に盛んに報道がなされたけれど、設計者の吉田鉄郎について、例えば吉田が桂離宮などを案内した建築家ブルーノ・タウトが東京中央郵便局をモダニズムの傑作として讃えたことや、今回建て替えられる「JPタワー」がいかに現在ある建物を無視した醜怪なものであるか、まで言及できていた報道(特にテレビ)はなかった。もう神戸地方裁判所のような「保存」は見たくありません。
都市景観は、本来民間の一存で決めるようなことではない。政治家やお役人が一定の方向を示し導くべきことだ。ただ、今の日本にはそれがない。無学か、でなきゃただ悪趣味な石原慎太郎東京都知事の発言然り、今回の騒動でもそれが露見した。
その対極にあるのが商業主義で成立している阪急百貨店の建て替えだ。昔あった建物を完全に取り壊しての新築。それでも過去の顧客を捉えるためになのか低層階の外観を昔“っぽく”しつらえ、そこから高層階へ何となくつなげてしまうデザインへは、決してほめられたもんじゃないんだけども少しは景観に対する配慮は見えます。商魂逞しきかな。小林一三の理念は未だ生きているのかもしれない。森ビル然り、日本における都市の景観は民間人のカリスマ社長にしか成し得ないものなのかもしれない。それも部分的にしか。
はてさて大阪中央郵便局の行く末やいかに。見通し暗いなあ。ちちんぷいぷいの石田英司でさえ登録有形文化財でええやんか、なノリだったしなあ。
こんばんは。
近代建築の保存問題に行き詰まりを感じており、
あまり大したコメントはないのですが、
建て替え後の阪急百貨店の外観に絶句してしまいました。
全部壊した上での建て替えにもかかわらず、
従前の建物のデザインを中途半端に入れるのか理解に苦しみました。
一度壊したなら、どうどうと今のデザインでやればいいのに。。。
大阪中央郵便局は何とか残って欲しいですが、かなり厳しそうですね。
個人的には「東京」よりも「大阪」の方が洗練されたデザインだと思います。
阪急の行為にはある程度の価値がある、と私は捉えています。曲がりなりにもあの土地だけには文脈があるからです。時系列で見ても歩道橋から阪神百貨店へと、容易に延長させることができます。
それに比して、歴史の文脈から孤立してしまった大阪中央郵便局に存続すべき価値を世に問うのは、とても高いハードルになってしまいます。「保存」は何のためにあるのか。とても悩ましい問題です。
私も大阪中央郵便局にこそ歴史的価値を見ますが、東京駅舎からの流れをかろうじて作ることができる東京中央郵便局には外観の保存はもちろん、上層階の意匠にも一定の配慮が成されるべきだと考えます。
まあ、こと「近代建築」に関しては、日本独自の歴史的事情もあって、不毛であるなあ、と感じることの多い今日この頃であります。